千一夜

このスターってのはどうにかならないでしょうか。なんか訳わかんないまま自分のエントリに付けちゃったんだけど、これ、取り消し効かないんですかね。まあいいけど。
短めに。
僕らは間違いなく立体的だったはずです。どんな人間や集団だって一面だけで捉えられるものではない。僕らは幾つかの面を持った多面体だったはず。そして日記―言説はその多面体の展開図を描くものだったのでは無いでしょうか。どの面とどの面がどのように接するのか、それを解き明かすのが言説の役割だったのだと思います。
僕が「前提」とか「全体性」とか言うのは、このことを意識しています。
しかし、今や僕らは多面体ではなくなりつつあります。以前と変わらず僕らは多面性を備えていますが、それが一つの像を構成するのではなく、各面は独立して積み重ねられていくのです。そう、僕らは多層的になりつつあるのです。そして、状況に合わせて一番上の層―表層に持ってくる面を変える。それが今の「僕ら」なのではないでしょうか。
言いたいことは幾つもあるのですが、ひとつだけ。多層化は言説の死を意味するってことです。