ああっ

「メタが存在するのは既に前提なんだから、メタを描写するのは負け」なんだ、とある人が語った。僕はこの言葉を直感的に正しいと思った。あえてベタ、であるべきってことか、と。
先の言葉を言い換えると「差異が存在するのは前提なので、差異を語るのは負け」ってことになる。これは一見、差異の肯定に見えるがそうではない。だって「語ると負け」なんだもの。じゃあ、なにか。差異の隠匿だろう。そしてその帰結は差異の忘却に違いない。
差異の否定=一神教=リンク で、差異の肯定=多神教=多リンク なのだとすれば、差異の忘却とはどういうことになるだろう。
今後はこの問題について考えて行って下さい!!!