星より密かに(森下さんを探せ!)

さて、前回は質問の形で日記を終わりました。が、反応の少なさでは他に引けをとらない当サイト、ちゃんと自分で答を用意しております。人生って悲しいものですね。
軽くおさらいを。差異の否定、つまり同一性を指向する態度、とは唯一神的です。唯一神=単一言語=リンクページです。一方、差異の肯定、つまり多様性の存在を認める態度、とは多神教的です。多神教=多言語=多リンク です。そこで、差異の忘却、つまり多様性を所与のものとして受容する態度、とはどういうことになるのか?というのが、前回の問いでした。
差異の忘却=無神論 というのは容易に導き出せると思います。但し、これは「神様なんていない!!!」といった積極的なものではありません。神が遍在しているが故に、かえってその存在が忘れられてしまう、という消極的な無神論です。日本的、と言えるかもしれません。
次に、コミュニケーションのレベルではどうなるのでしょう?勿論、無神論=非言語 です。これは「言語を用いない」という意味ではありません。
言語とは記号です。記号である以上、内容を問わず、他者に向かって提示されているものです。他者性とは差異性、つまり「私」を否定する可能性、ですから、言語は「どんな内容を語ったとしても否定される可能性から逃れられない」という性質を持っていると言えます。この言語の持つ「否定可能性」を拒否する、つまり、同意・承認のみで繋がろうとする、そんなコミュニケーションこそが「非言語的」だと言えます。
差異の忘却=無神論=非言語。さて、最後、僕ら"text-psycho"のレベルではどういったものになるのでしょうか?実はここが難しいのです。SNSツイッター無神論的にも見えるのですが、片足を多神教に残している様にも思えます。うーん。と、そこに、はてながピッタリなツールをリリースしました。そう、はてなスターです。ブログを読んで感じた「ちょっといいな」を気軽に☆にしてください―――これぞ、正に、非言語的コミュニケーションに他なりません。と言うことで、
差異の忘却=無神論=非言語=はてなスター
これが答です。
さて、今回の日記は森下さんの日記を参照して書かれたものですが、「あえて」非文中リンク、です。なぜか。多分「はてなスター」というキーワードによって初めてここを訪れる人が何人かいると思うのですが、その人達が「森下さん」を見つけ出すことができるのか、という実験です。もし貴方が森下さんを見つけたなら、どうかこのエントリに☆を付けてください。お願いします。