3回目

僕は「読者2.0」を「コジェーヴが見たスノッブな日本人」web2.0版、だと読んだよ。読んじゃったもんね!なるほど、そうすると武士道を例えに出したのも解る。
コジェーヴが言うスノビズムとは「所与の環境を否定する理由が何もないにもかかわらず、『形式化された価値に基づいて』それを否定する態度」だったと思う。これは、ヘーゲル哲学の人間規定―人間が人間的であるためには、与えられた環境を否定する行動がなければならない―に基づいたもので、戦後アメリカの消費社会批判の文脈の中で「真に人間的な行動様式」として提示された。つまり、ニーズを満たす様に作られ与えられた商品を、ただ消費しつづけるだけの社会は「人間的ではない」ということだ。
これは、そのままweb2.0を取り巻く状況に当て嵌まる。web2.0は多様な個々のニーズに的確に対応し、情報を提供する。僕らは情報を選択することさえしなくていい。僕らは提供された情報を消費するだけだ。web2.0が実現する社会は「究極の情報消費社会」なのである。これは人間的な社会といえるだろうか?
さて、森下さんは「人間的」であるために「誤読主義」を掲げよう、と言ってるわけだ。もうお判りだと思うが、実は僕と森下さんの問題意識は同じところにある。web2.0的な概念には概念で対抗しなきゃ駄目だってのも同じ。違いは(僕が思うに)森下さんがweb2.0的概念の「後」に新しい概念をぶつけようとしているのに対し、僕は「前」に新しい概念を捻じ込まなきゃ駄目だ、と考えてるところだ。これはそのまま「読者」「書き手」という立場に現れている(と思う)。
あー。つーかさー。僕はホントはもう諦めたいんだよねー。でもさー。「諦めたらそこで試合終了ですよ。」ってさー。がー。
森下さんが「読者2.0」をぶち上げたので、僕も新しい概念を考えなきゃいけないわけですが、能力の限界がやって来たのでそれは次回。シーユー!