さようなら、キャプテン

僕が初めてワールドカップをTVで観たのは1982年のスペイン大会でした。と言っても、ほとんど憶えていません。この大会は所謂元祖「黄金のカルテット」が実現した大会なんですが、ソクラテスの名前と風貌が妙に印象に残ってるだけで、ジーコに関してはなんとなく憶えてる、ファルカントニーニョ・セレーゾに至っては全く憶えてないという体たらくです。他の国の選手も、プラティニとかリティとか全然記憶にありません。すみません。しかしまあ、その辺から海外サッカーに関する興味が大きくなってきて、1986年にはキリンカップブレーメン×パルメイラス(奥寺×カズ)を国立に観に行ったりしてて、で、その年のメキシコ大会で完全にヤられてしまうわけです。神の手。五人抜き・・・。
あの頃。ワールドカップってのは別世界の出来事でした。TVの中の世界。確かアジア枠はひとつかふたつで、それは韓国のものという認識ですよ。JSLの試合は閑古鳥が鳴いてて、天皇杯だけちょっと盛り上がる、みたいな。アツさで言えば高校サッカーの方が断然上な時代ですよ。和司さんとか柱谷兄とか頑張ってたけど、まさか日本代表がワールドカップに出るとは夢にも思っていませんでした。メキシコ五輪の銅メダルと釜本の得点王だけを誇りに、永遠に弱小国であり続けると思っていました。
という訳で。この20年、協会が無能だったとは全く思いません。むしろ素晴らしい働きをしたと褒め称えたいのです。皮肉ではなく、本気で。トレセン制度、Jリーグ、その他もろもろ協会が打った方策はそれぞれに有効だったんだと思います。その結果として98年から3大会連続出場、しかも02年はホームアドバンテージがあったとは言えグループリーグを首位で突破してるわけです。たった20年でここまできたのです。世界の強豪国と対戦する事さえ夢だった国が、たった20年で「ブラジルに勝つ!」と(結果はともあれ)言えるようになったのです。これを素晴らしいと褒めずに何を褒めればいいのでしょうか。
ただ。だからこそ。ここを区切りに、この先はまた新たに始める必要があるのではないでしょうか。新たな20年を。
これからの20年間は「日本のサッカー」を作り上げる20年間にして欲しいのです。ブラジルを観て思ったのですが、あれはブラジルにしか出来ないサッカーです。日本が真似ても二流三流にしかならない。だから。日本にしか出来ないサッカー、それを僕は夢見ます。そして、次の代表がやるサッカーは今後20年の日本サッカーのベースになるべきだと思うのです。そこをベースに20年かけて日本独自のサッカーを作り上げるべきだと思うのです。オシム、良いでしょう。「考えて走るサッカー」良いんじゃないですか。ただ、オシムを選ぶのなら、今後20年間は「考えて走るサッカー」を日本のサッカーのベースにするつもりで選んで欲しいのです。
その上で。これからの20年を選択し牽引して行くには、あなたは歳を取りすぎていると言わざるを得ません。ありがとうございました。
そして、さようなら、キャプテン。