さすれば与えられん。

インターネット、とりわけweb2.0について語られる時、「n on nのコミュニケーション(メディア)」という様なことがよく言われる。まあ、実際そうなんだろうな。そうなんだろう、と思う。しかし、僕らは少々そのことに引っ張られ過ぎなんじゃないだろうか?
そもそも、情報の発信源が1であるかnであるかという「1かnか問題」は、「僕」にとってそんなにも重要なことだろうか?もしも「僕」がその情報の全てを完璧に理解することが可能であるならば、「1かnか問題」は重要な意味を持つのかも知れない。だが、情報が言語を代表とする「記号」に拠って遣り取りされる限りにおいて、「完璧な理解」等と言うものは不可能である。そして、脳に直接plug inする時代にならない限り、僕らは「記号」に拠るコミュニケーションに頼らざるを得ない。つまり、たとえメディアの構造がn on nであったとしても、現段階に於いて、コミュニケーションの本質は「記号」と「僕」との1on1だ、と言えるのではないだろうか?そして、僕らの多様性・可能性・未来は、この1on1に賭けられているのではないか?
僕らはもっと1on1のスキルを上げる必要がある。展開力より突破力。藤真より沢北。そして、愛よりも恋。
なので、僕は恋について考えたいのだ。しかしながら、恋について考えることは非常に難しい。恋とは「するもの」ではなく「気がついた時には落ちているもの」だから。恋について考えることは「何故生きるのか?」について考えることに等しい。だからこそ考えなければならないのだが・・・。
というわけで、恋について考える為にインターネット神の御力を借りて「交響詩篇エウレカセブン」全話を手に入れました(なんか世間ではエヴァがどーしたこーしたと盛り上がっているみたいですが、僕はエヴァよりもエウレカの方が好きです*1)。なので、この続きはそれを観終わるまで待ってください。全50話なので、1日1話として約2ヵ月後になります。

*1:作品評価ではなく単純な好き・嫌いのレベルで。