何処の誰かも知らない人の笑い顔を作ってゆく

森下さんもいつも僕にヒントと許可をくれる。そして僕は更新できる。
果たして僕と森下さんは同じなのか、違うのか。僕は「違う!」と言うね。違うからこそ繋がって補完しあえるんだって。森下さんは「同じ!」と言うね。同じだからこそ繋がって違いを語り合えるんだって。で、ここでさ、どっかの馬鹿(あえて非リンク)が「お前らは全然繋がってねー!繋がるってのはこぉぉぉだぁぁぁ!」つってオフではてな女子を口説いてる様をリアルタイム更新とかしてくれると面白いんだけど。置いといて。
僕のイメージね。「僕らは違うけども違いが判るのは同じ地平に立っているからであってその意味では同じ」だから繋がる、それが「繋がる」ってこと。違う⇒同じのプロセスが大事だと思うわけ。そこをいきなり誤読してすっ飛ばして、「繋がるのは気持ちいいから、YOU、繋がっちゃいなよ!」って、それもう主体とは言えなくね?動物じゃね?
僕としては留保にされた「闘い」の方に照準したい。闘って傷ついて、その結果としての快感にこそ価値があるっつーか、要は変態ですいません。
こうやってあーだこーだ言えてるのは、少なくとも言葉が通じるからであって。文字が「どうにでもしやがれっ!」って言っても、少なくとも文字は「読まれている」わけで。これから問題にしないといけないのは、もうそれこそ「言葉が通じない」くらいの「他者」がインターネットに存在するっていう現状じゃないのかな。それがクローズを呼び込む原因なんじゃないかと思うけどそれは次回。じゃあねー!