あくまで書き手としての視点から。

http://primitive.sakura.ne.jp/log/200706.html#eid101

 結論を書きます。テキストサイトはその書かれた内容によって三つに分類される。表現の立脚点として「抑圧」をセットした日記系、「許可」を立脚点としたテキストサイト、「後押し」或いは「要請」を立脚点とするブログ系テキストサイトです。以下便宜的に日記系、テキストサイト、ブログ系とします。

「抑圧」「許可」「要請」――この3つを独立したものとして捉えるのではなく、「抑圧」を立脚点とするひとつの流れを分岐させる力として「許可」「要請」が作用した、と捉える必要があるのではないか。ある日突然「侍魂」や「ブログ」が降って来て、状況を一夜にして変えてしまった訳ではない。勿論、これら外的要因の影響は大きいが、それは僕らの内的な変化が呼び寄せたものではなかったか。その変化とは何だったのか。
まず、「抑圧」と「許可」の間になにがあったのかを考えたい。

 日記系は謝る。「インターネットで日記なんか書いちゃってごめんなさい。メインコンテンツが日記でごめんなさい。」

インターネット世間からの「抑圧」を立脚点にセットされた日記系は、こういった「後ろめたさ」を根源的に背負っていた――本当にそうだろうか?僕らは本気で謝っていただろうか?「抑圧」が僕らにもたらしたのは「後ろめたさ」だけ?じゃあ、そんな「後ろめたさ」を背負いながらも書き続けたのは何故?面白いから?うん、それはそうかも知れない。じゃあ、その「面白さ」を支えていたものは何?
「面白さ」を支えていたのは「『あえて』WEB上で日記を書く」というアイロニカルな視点である。
僕らは世間からの「抑圧」に対しメタポジションに立つことで対抗した。日記系は「メタWEBサイト」だったのである。だからこそ!僕らは「後ろめたさ」を背負う必要があった。メタはさらなるメタを産む。永遠に続くメタゲームを避ける為に、僕らは見かけ上の立ち位置を「あえて」対象の下に置かなければならなかったのだ。*1
だから僕らは謝った。しかし、やがてそれが「自虐」として様式化されるようになると、徐々にその根源にあった「後ろめたさ」は薄れていった。そして侍バブル。世間からの「許可」を得た僕らは、完全に「抑圧」の記憶を失ってしまう。そして終わりなきメタゲーもういいや終わり。
次回は「ブログの思想に対抗しようとすると『不便さに楽しさがある』とかそういうなんかロハス的な結論になっちゃって、それもどうかと思うから困るよ!」というお話をしたいのですが、僕の能力が追いつくかどうかふあんです。というかロハスがなんだかイマイチわかっていません。眠い。

*1:だから、実際には日記である必然性は無かったと言える。実際、侍バブル後に至っても日記と平行してゲーム批評ライノベ批評を書いてるサイトが存在していた。そして、その極北としてモーヲタ系サイトがある。果たして、彼らは本当にモーヲタだったのか・・・?